TFJC | A Fish Called Wanda | Review by I Johnstone

 「J・オットー・クリーズ氏のワンダフル・ワールド」

イアン・ジョンストン
英サンデー・タイムズ紙   1988年10月16日

   
2年ほど前、郵便受けに脚本が1冊届いた。ジョン・クリーズが書いたメモが同封されていて、「ご意見歓迎する。それから笑えると思ったところに丸を、面白くないところにバツをつけてほしい」。やがてそれはほぼ完璧に組み上げられた6つのコメディのストーリーラインから成る、彼のこれまでの仕事の中で一番優れたものであることがわかった。フェドー的とでも表現されてしかるべきかもしれない、もしこれがフェドーより面白くないとしての話だが。

「どう思った?」次の日曜日、我々はハイド・パークでブランコに乗っていた。「タイトルは『ア・センス・オブ・ワンダ』の方がいいんじゃないか」と私は答えた。これを始めとして続く何か月もの間多くの意見が交わされた。それがすべて採用されたわけでは決してない。(例えばキャスティングについて、私はリーチ夫人にはジョーン・プロウライトが適役だと思ったが、実際にはマリア・エイトキンが演じた。)

ジョン・クリーズと知り合ってから10年ほど経つ。その頃我々はどちらもノッティング・ヒル・ゲイトに住んでいて、ちょうどパートナーと別れて一人身になったところだった。その後一緒にギリシャのハイドラ島に休暇を過ごしに出かけたが、そのときちょっとこの男にはどこか浮世離れしたところがあると気づいた。ガールフレンドの荷物を岸に置いてきてしまったことを、ジョンはクルージング船がエーゲ海に出航してから思い出したのだ。

その休暇中彼はフォルティ・タワーズの本のためにもっぱら机の前で過ごし、私は当時5才のシンシアがうるさくまといつく蚊と戦う様子を眺めて過ごした。シンシアは今美しい17歳の女性に成長し、この映画の中でポーシアという名前で娘の役を演じている。(そして「なんだって奴は自分の娘に車の名前なんかつけたがるんだ?」とオットーが不思議がる。)

この記事とともに掲載されていた写真。本人が意識していたかどうかはわからないが、この映画でクリーズがやったのは、新しい家族を自分のまわりに作りあげることである。彼は一人息子で、母親は今でも元気だが父親は息子の活躍を目にすることなく亡くなった。ザ・フロスト・レポートで初めてテレビ出演を果たした後でさえ、父親はデイリー・テレグラフ紙からマークス&スペンサーのマネージャー募集の求人広告を切り抜き、「これを見つけたが興味があるんじゃないかと思う。父より」と走り書きをして送ってきたという。

クリーズは監督チャールズ・クライトンに対し敬愛の念を抱くと同時に、父親に代わる何かを見ている。何年か前クリーズとグレアム・チャップマンは脚本を書きクライトンに監督を依頼したが、プロデューサーのネッド・シェリンはクライトンを却下した。彼はこの対立のことを今でも苦々しく思い出すことがある。同様にデヴィッド・パットナムも、クライトンに対するジョンの気持ちを理解しなかった。これがおそらく『ワンダ』がコロンビア社に行かなかった理由である。もし実現していれば、当時切実に必要だった興行的成功をパットナムとコロンビアにもたらしていたはずだ。

チャーリーが撮るのでなかったら『ワンダ』は最初から作られていなかっただろう。ジョンはそれ以前からビジネス・トレーニングのビデオを何本も一緒に製作しており、クライトンが一番明確にものを見て、あるシーンのポイントを捕まえてカメラに収まらせることができる監督であると(その逆の方法で撮影する他の監督とは違うと、)信じてきた。ジョンがロビン・スカイナーとの2冊目の本を書いていて手一杯だったにもかかわらず、このプロジェクトを実現させたのは、ひとえにクライトンに関しての自分の判断は正しいと世界に見せつけてやろうという固い決意ゆえである。

もう少し自己流の心理分析を続けさせてもらえば、もし77才のチャーリーが失われた父親であるのなら、直感として、ケビン・クラインは存在しなかったアメリカ人の弟ということになる。2人は5年前にオーストラリアで出会いすぐに意気投合した。クラインいわく、「初めて会ったとき、同じものごとに興味があることがわかった。特に自分自身のことについてだ。」

心の奥底でジョンはアメリカ人になりたがっている。かの地に3年間住んでおり、クラインの役にかつて自分がミドルネームとして使っていたオットーという名前を与え、結婚するのはいつもアメリカ人女性である。そしてマイケル・ペイリンはもう一人の弟である。パイソンズの中でマイケルは一番ジョンに近い。ペイリンはテリー・ジョーンズと、クリーズはグレアム・チャップマンと組んで書いていたにもかかわらず、モンティ・パイソンの基盤は実にこの2人の存在にある。例えば怪しい店員と困らせられる客として。(彼らのお気に入りのスケッチ『チーズ・ショップ』に顕著に表れているとおり、)スクリーンの上では2人は結局互いにまったく理解しあえずに終わるが、一旦そこを離れると素早く、簡潔な、かつピート・アンド・ダッドなみに面白いコミュニケーションをはかっている。

パイソンは見かけほど調和のとれたファミリーではなかった。最近、4300万ドルという史上2番目の予算を費やし「バロン」を製作したばかりのテリー・ギリアムが語ってくれたことがある。「支出が700万ドルに達したところでもうやめようかという話が出たんだが、それでもぼくはジョン・クリーズに目にもの見せてやるためやり続けなければならなかった。」

この再編家族的解釈の最後にはジェイミー・リー・カーティスが来る。ジョン・クリーズのソウル・シスターとしてだ。初めて会ったとき、ジェイミーが実はかつてモンティ・パイソン・グルーピーであったということがわかりジョンは非常に驚いた。彼女は私の知るうちで一番個性的なアメリカ人女性であり、真の意味でのハリウッドの娘である(彼女はトニー・カーティスとジャネット・リーの間に生まれた。)

この事実は、ある撮影中の土曜日にジェイミーとクイーンズ・クラブでテニスをしているときに現われた。「なかなかできるじゃないか」と保護者づらして私が言うと、ジェイミーいわく、「だって子供の頃、テニスのキャンプに何度も行かされたもの。ほら私の両親は別れちゃったでしょう、だから子供をどこかにやらなきゃいけなかったのよ。」

私はジェイミーの子供時代のことを考えた。そしてはるか遠くに、同じように孤独な6フィート5インチの13才の少年がボールを追っているクリフトン・カレッジのクリケット場が見えた。今後もこのスクリーンの中で生まれたこのパートナーシップが続くことを私は確信している。






イアン・ジョンストン Iain Johnstone
おそらくBBCのプロデューサーだと思われます。ライフ・オブ・ブライアンの撮影記録を兼ねたパイソン20周年記念ドキュメンタリーや、そして1979年9月にBBCの「Friday Night, Saturday Morning」で、ブライアンを糾弾するシリアスな聖職者対ジョン・マイケル組の討論を仕掛けたのはこの人です。


ワンダに関しては、面白いメイキングフィルムを作っただけではなく、このように映画の内容にもジョンと対等の立場でかなり深くかかわっていたらしいです。(だからメイキングの中で、あれだけ突っこんだ質問ができるわけです。)最後の一文のとおり、この映画の縁は「危険な動物たち」で復活し、ジョンストン氏は正式に脚本家としてクレジットされています。




Updated: 20 Jan 2002